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九条の大罪 第40審 あらすじ ネタバレ注意
法廷に立つ雫。判決は懲役3年となった。軽度の知的障害と適応障害であり、心身耗弱状態と認められ、その原因が殺した中谷修斗にあった点や、償いの意思を考慮され、軽い刑で済んだようだ。
弁護によって雫が軽い刑で済んだことを知り、九条の腕前に感心する亀岡麗子。どこかの屋上のようで、トタンのような上に亀岡、九条、烏丸が立っている。
正確には九条だけはうんこすわりをしている。
雫の刑は3年で終わるが、罪は一生抱え、また修斗のような自分大好き、利己的な人間に利用されることを危惧する九条。
うんこ座りの九条に合わせ短めのスカートの亀岡もうんこ座りで応える。
亀岡は修斗は利己的、とするが、決して自分勝手ではないと思うという。
自分を愛せないから自分を守ろうと、もがいている、という。
修斗も雫も亀岡にとっては他人事でないようだ。いつになく悩んだような表情を見せて遠くを見る亀岡。私も拠り所を探している。という。
誰もが自分の生命力と時間を消費してる。
買っても買ってもまだ足らなくて、
不安や孤独から目をそらす口当たりのいい商品をまた買わされる。
一瞬の輝きと引き換えに
本来の生き方を絶望の中で見失って苦しんでいる。
九条の大罪40 小学館 より引用
という亀岡。
雫と面会窓越しに話す九条。出てきたときにはまだ22歳なんですね、という。
一方雫は3年後に出て、どこで何をしたらいいか、尋ねる。
私に居場所なんてない、という。
1日1日日常を愛おしいと思えたらそれがあなたの居場所であると、いう。
娘に渡すはずだった3冊の本を良かったらどうぞ、と雫に差し出し、
奪われる生き方でなく、与えられる人になる為、寄り添います。という九条。行く場所が無いなら私の事務所に来ればいいという。
それを聞き言葉は発さず涙を流す雫。
つづく
九条の大罪 第40審 感想
これで消費の産物シリーズは終わりである。
消費の産物とは。ウシジマくんの楽園くん編でみた若者の人生観とリンクする「消費」と「購買」。垣間見えた中谷修斗の心の内側。
消費というものは今回はじめて何を指すかが描かれた。過去に商品としての雫の消耗であるんじゃないかとか、いろいろ思ったが、消費というのは人生そのものの消費を指すようだ。
そして、ただの胸糞キャラと思われた修斗もまた、消費のサイクルに巻き込まれた被害者で、愛せない自分を守るためにもがくもの、として描かれた。
これは全然考えていないことだったので意外だったが、ふと思うのは今回の亀岡の一言 「
一瞬の輝き」というフレーズ が、ウシジマくんの「楽園くん」でのG10の一言と重なる、というか完全に一緒の部分がある。
G10は
楽園(neverland)。
それはAZEMICHIを抜けた極光(northern lights)。
一瞬の輝きに一生を捧げても届かない
闇金ウシジマくん 楽園くん 小学館より
と表現していた。
僕は楽園くん編について1回読んでもよくわからず、G10の不思議なキャラについても理解も共感も及ばなかったが、形が違えどG10もオサレエンペラーたちも、今回の修斗もこういった消費と搾取のサイクルの中で、精一杯もがいて生きるものの、結局何者にもなれず消えていく若者、あるいは若者の時間の象徴として描かれているような気がする。
もちろんほどんどの若者はまじめにコツコツ地味に若い時間を過ごし、そしていつか大人になっていく、でも、若さとは時に無謀で過ちや人を傷つけることもあり、そうまでしても何者かになりたい強い渇望と、到底届かない絶望が同居している、というような感じなのだろうか。
そして彼らが共通に思っていることは若く輝ける一瞬の時間というものは日1日と消費されていて、かけがえのないものである、という価値観なのではないか。
そして、そういった彼らの焦りが、欲しくもないものを買わされる生き方につながっている、ということだ。G10や中田の場合はそれは服や靴だったのかもしれない。
では修斗の場合は何なのかというと、自身や周囲を消耗させながらAVに女性をスカウトしたり風俗に売り飛ばしたりする役回り、を買っている、ということなのかもしれない。
そういえば、中田も薬物を売ったり、彼女を金持ちに差し出したりしていた。ここで、ふと思い出されるのは「俳優をやっている」といった第30審の一言である。
私は「昼間は寝ていて、夜は女の子とデートしたりしてヒモとして暮らしつつも、都合のいい女はAVに紹介してお金稼いでます」なんて当然言えないから、ルックス的に俳優でもおかしくない修斗が適当に職を偽っているのだとばかり思っていた。
しかし、修斗はおそらく本当に俳優なのかもしれない、というかそうに違いないと思えて来る。つまりもとは俳優がいつの間にか不本意ながら稼げないゆえにサパークラブのようなところで働き、気づけばまばゆい名俳優の道からはどんどん遠ざかるような裏の仕事、闇の仕事、演技力の向上とは似て非なる行為に身を染めているのではないだろうか。
そして、そうであれば同じく30審で、俳優という修斗に、「何に出ているの?」「すごい俳優になるよ」と言った雫の一言はどのように修斗に聞こえたのだろうか、と少し気になる。改めて見返してみても修斗の表情や会話のペースに乱れは感じないが、もし本当に修斗が夢が遠のきながらももがいている俳優ならば、非常に響く一言だったのではないかと思っている。
もう一つ、修斗が本当に俳優で、輝かしい未来を描いたものの現実とのギャップに悩み闇落ちしたのではないか、と思われる点は彼の修斗という名が本名である点である。
普通マッチングアプリで会い、AVに斡旋する、というだけの関係の人に対して本名を名乗るものだろうか。そもそも俳優なので本名でなくてもいいと思うが、後ろめたいことをしているのであればなおさら隠してしまおうと思うのが普通かと思う。
でもなぜ彼が頑なに「修斗」という本名を通したかというと、やはりこれまでの行為は正当化し、自分が俳優として輝きたい、という気持ちが消せなかったのではないか、そして、表舞台に立った時に「彼はもともと偽名で新宿のサパークラブで不遇な時代を過ごして・・・」というような言われ方をしたくなかったからなんじゃないかと考えている。
さて、とはいえ修斗のやっていることは悪い事であると、一般には思える。
九条もそう思っていたから自分の常識の枠にはめて「利己的で自分が大好き」と分析したが、この部分に関しては亀岡の洞察の方が修斗の心の内をより克明に捉えているようだ。
もともと人の気持ちが分からなさそうでよくわかる九条と、自らの価値観と正義で動くかのような亀岡が、逆の立場のやり取りをする面白いシーンだった。
同時に九条とて全知全能ではない、というか人間らしい部分がしっかりあると思わされたシーンである。
①モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の不思議な物語②星の王子さま③どろぼうの神様 意味深な3冊の本
九条が渡した本は実際に存在する本で、
①モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の不思議な物語
②星の王子さま
③どろぼうの神様
である。
私は何一つ、一文字たりとも読んだことはないが、どの作品についても時間と人生、大人と子供、のようなことがテーマとなっているようで、特にモモなんかはレビューを読んだ限り面白そうなので隙あらば読んでみたいと思っている。
第41審以降の展開は?
消費の産物編はこれでひとまずお終いのようだ。もしかしたら3年後の雫の再登場だとか、そういうシーンが今後描かれる可能性もゼロではないと思うが、当分先の話になるだろう。
基本的には雫の心の拠り所、居場所が与えられ、そして奪われるのではなく与えられる人を目指すという、指針も示され、ハッピーエンドと言えるのではないだろうか。
壬生がやりたいこと、亀岡の拠り所、外畠の股間の歩留まりなど、結論がまだわかっていない部分をいくつか残した本シリーズであるが、総論としてはスッキリしたところで楽しく次のシリーズを待ちたい。
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