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九条の大罪 第60審 あらすじ ネタバレ注意
地獄だ。
千歌の部屋で体育座りをする数馬。
ベッドに下着でうつ伏せの千歌。パンツ一丁の犬飼がやらせろ、と叫んでいる。千歌は自分で肉体労働はしない、と別の女を呼んでいるようだ。
スガちゃんと菅原に助けを求める千歌だが、数馬のスマホをチェック中の菅原は止めに入らない。
女の子を呼ぶと言う千歌はハイスペックな人しか相手にしないと落ち着いているが、犬飼は25歳超えて港区女子とか調子に乗るな、港区ババアと暴言を吐き、髪をつかんでナイフを出す。
ようやくそれを止める菅原。呼んだ女が道に迷っているようだ。
犬飼はキッチンで小便をしている。
それを止めもせず体育座りのままの数馬に冷ややかな目線を送る千歌は呼んだ女を迎えに外に出ていく。
残った犬飼は数馬は金持ち自慢をしていたが自分の女が犯されそうなのに、なにも言えず情けな、と罵る。
犬飼曰く金を稼いでもいざというときに本性が試されるらしい。
少年刑務所の4人部屋は上下関係が必ず出来て、上は革命を恐れ下を徹底的に辱しめ、看守は黙認している状況だったようだ。
数馬を弱者と言い、女も金も俺が貰うと言う。
犬飼は菅原からお金を貰い、呼んでいた別の女、モモヨとホテルに行く。
菅原は数馬に犬飼の悪態を謝るが、27歳で全盛期を過ぎた千歌の価値は暴落していて、あの界隈の女、について若いだけのブスに負け金のかかる生活態度も変えられず、港区おじさんからも相手にされなくなっていく、という。
そんな千歌の何が良いか聞かれた数馬は、周りの決めた価値観はどうでも良く、千歌そのものが好きだと言う。
千歌は周りが決めたみんなが求めるものが好き。と言う。
ハリーウィンストンの金属(指輪)とエルメスの皮(バッグ)があればスッポンポンでも渋谷交差点を歩けるらしい。
そして、金持ち自慢よりどれだけ尽くしてくれるか、が大事だと言う。
価値観が真逆だな、と言い去っていく菅原だが残された千歌はめんどくさいババアになっても私が好きなのかを問いかけ、それならば犬飼の小便臭いキッチンの掃除をした後、朝ごはんを作って、と言う。
千歌は数馬の背中にくっつき、数馬は涙を流している。
九条の大罪 第60審 感想
犬飼の言う「いざというとき」と言うのが今回数馬に起こり、結果的に数馬と千歌の内面が描かれた。
冒頭で数馬は「地獄だ」とこの状況を表現しているが、この全く同じ「地獄」という表現はかつて少年刑務所について菅原と犬飼が語る場面でも使われた。
まず数馬としては単純に犬飼の暴力に屈している点と、詐欺師に4000万を持ち逃げされている疲弊から千歌がレイプされそうになっているのに対し無抵抗に体育座りをしている。
菅原と犬飼を見て「誰?」と思っていたので多分数馬が二人と会うのは初めて会うのだと思うが何故か犬飼は数馬に対し「金持ちを自慢して」と言っている。
前話で金を千歌に投げつける数馬を見てそう言う感想を持ったのかもしれない。
「稼いでいる社長が大したことはない」とすることで自分を正当化したり相対的に上であると言うことを示したいようで、敢えて撒き散らすようにシンクに小便を放つなどの行為にもそう言う犬飼の心情が現れているように思える。
犬飼はきっと少年刑務所に入ったときはヒエラルキーの上位ではなかったのだろう。よって「地獄」と刑務所を表現していたがその中で得た答えが今の犬飼の態度であり、暴力を伴う辱しめで人を服従させ全てを解決させる、というスタンスがより強化された形になる。
話を数馬に戻すと、金がなくなったところに突然現れた輩が2人いて、特に獰猛そうな輩は刃物は持っているし、彼女もレイプされそうと言うあり得ない事態が発生し衰弱している。
この状態が短時間ではあるものの刑務所に入った犬飼同様の地獄である。しかし、ここで数馬が気づいたのは周囲の価値観は関係の無い千歌への絶対的な献身こそが自分にとって大事なことである、と悟るのである。
一方、千歌はナイフで顔を刻むと脅されても表情は変わらず、犬飼のことをイッヌ扱いするなど非常に肝が据わっている。
九条曰く職業に貴賤はない、と言うが千歌の行っていることは一般にダーティというか違法性が高そうであるには違いなく、例えば納税とかをキチンとしているのかは極めて疑問である。
いがみ合う小山と数馬を部屋に上げてしまっても同じ表情でいられる千歌はある意味ぶっ壊れたメンタルを持っている。
そんな千歌は自分にとって大事なものを今回語った。
それは東京カレンダーをなぞるような人生、と言っていた千歌の価値観と変わらないように思える。
しかし、どれだけ尽くしているかが大事、と言うことをこれに付け加えている。
菅原はこれを聞いて「たくさん金を稼いで、かつ千歌に対して振り分けてくれる人」と理解したように思える。
だから2人の価値観は真逆だ、と言っている。だが千歌の付け加えた一言「尽くしてくれる」というのは2人にとっては新しい開示である。
菅原のような捉え方をするのは、おかしくはない。千歌のようにブランドが好きで港区に執着していそうな人が尽くされたい、と言ったらそれは家のお掃除とか洗濯にとどまらず、自分にかけてくれるお金もなにもかもを示すと捉えて不自然ではない。
ただ、少なくとも数馬との関係性に於いては千歌は尽くされること、のみを重視しているのである。
全盛期を過ぎた、と言われている千歌が呼べる女性のグレードは下がっておりそれは収入の減少に直結しそうだ。
とは言え千歌は肉体労働とも言える小山との愛人契約や、伴ってタワマン住まいの許可も貰っていた。
ついでに小山との愛人契約も当初20万円と言っていたが今では小山に対して40万円払っているのか、それとも他にも愛人契約をしているのか、契約金が増えている。
千歌は肉体労働はイヤ、と言いつつもしっかり収入源は増やしていて、紹介業を行いつつも肉体労働的な仕事も自らしているのではないか。
千歌はお金に困らないよう、常に工夫をしている一方、金持ちたちは全てを自分に振り分けないことをよく知っている。だから数馬に対してのみは無償の愛、尽くすことを求めている。
もう一つは数馬に対しては変わらぬ愛を求める。一方他のものに対しては客観的な港区女子としての自分の価値を確認している、と言うことなのかもしれない。
数馬は涙をしていたが、千歌は数馬にくっついていたものの感極まっている様子ではないようにみえる。
数馬は今回の地獄で千歌への比較不能な愛に気づいたが、千歌は自分の大事なものや数馬に求めるものというのはもっと前からハッキリ決まっていたのではないだろうか。
53審で千歌は「私の欲しいものは絶対に手に入らない」と言っていた。
この諦めはなんなのだろうか。
例えば水と水蒸気は元は同じものだが、水である以上水蒸気ではないと言えるし、水蒸気を水とも言えない。だから水と水蒸気は、同時に得ることは出来ない、と言うように科学的に分断されているような諦めである。
今回千歌の大好きな数馬が帰ってきたように思えるが、奇しくも数馬が金を無くしたタイミングである。
金を無くして本当に大事なものに気づけた、と言うことであって欲しいが、千歌はそう捉えていないのではないか。
つまり世の中の「金持ち」と言うものは有り余る金をいろんな人に配ったりしてしまい尽くしてくれる人ではないということを千歌は経験を以て知っている。
千歌は不細工と貧乏が嫌いだが、一方で金持ちを好き、とも言っていない。
金持ちは決して献身的にはならないもので、金持ちの中にも自分に尽くしてくれる人はいる、とはとらえていない。
水が温度次第で水蒸気になったり戻ったりするように、「内面・性格」も絶対的なものではなく、その時々によって変わる。金持ちの数馬は献身的ではなくなり、献身的な数馬は金がない、と言う状況が千歌の捉える世界のようだ。
九条の大罪 第61審以降の展開は?
菅原のスマホチェックは何だったのだろうか。
過去久我に内部情報をリークされた菅原だから、新たに面識を持つ人間に対しては極力チェックを行い怪しさがないのかを確認しているのだろうか。
それでいうと、数馬は壬生とつながっている、という点で怪しい。
ただスマホチェックの段階では特に菅原のリアクションはないようだ。もともと菅原は数馬が壬生の知り合いと知っているのか、それとも数馬のスマホから壬生とのやり取りが消えているのか。
なんとなく後者のように思えるが、決定的な描写がなくどちらともとれる。
いずれにせよ壬生の逆転の手段はやっぱり数馬が担いそうに感じる。
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