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九条の大罪 第64審 あらすじ ネタバレ注意
妹の数恵と江の島からビデオ通話をする数馬。江の島は雨でサーファーが転々としている。
千歌と台風の日に江の島に来たことを思い出す数馬。
同棲後の千歌との生活は荒れ、買ってきたアイスの味が違うとかそんなことで数馬は責めらる。
自分の妹のために2億も作ろうとして、私にはアイスもケチるのか!?と怒る千歌にお前のエゴと妹の命を比べるなと言う数馬。
少し寂しげな表情を浮かべ、千歌は数馬の家を出ていった。
その後の千歌は小山以外にも2人のパパがいて、モモヨを使って中国の富裕層に売春させたりして稼いでいたようだ。
千歌は金持ちの老人と結婚をし、老人は、全財産を相続させると言う遺言書を書いたようだ。
家事もなにもしない千歌だったが、食事で金を払う人間に対しては心からごちそうさま、と言ったり、良く実家に帰り両親を大切にしたり、耳掃除をしてくれて耳垢が大量にとれると喜んだりする面もあったようで、老人からするとそんな千歌がかわいく思えるのかもしれない、と数馬は想像する。
台風の日。
江の島でお参りした数馬と千歌。お参りで何をお祈りしたのか、内容を数馬に聞かれ、内緒。と答える千歌。海を眺める千歌に、何を見てるの?と聞く数馬。
私の未来。数馬との素敵な生活。
と答える千歌。
それを思い出し、江の島で涙する数馬。
産廃の一時保管所にする予定の土地が行政と揉めて九条と相談していると言う壬生。居酒屋チェーンのバイアウトについて壬生が数馬に問いかけるが、その話には乗らず、「自分でスタートアップする」と数馬は言う。
飲食業のリスクは高く、フランチャイズなら得をするのは壬生だけ、さらに壬生が本気で数馬を取り込む気ならもっと逃げ場を無くして嵌めてくるはずだから。
いいね。よく気がついたな、という壬生。
ゼロイチで成功できる人間は稀で努力と胆力、運が必要だと言う。数馬は人が良すぎるので忠告すると言う。
ゼロイチで成功したら魂が腐った連中が寄ってきて、大衆に向けて値段のつけたゴミを売り付ける。大衆は愚者が作った偶像を崇めて生きる意味を失う。お前は自尊心を奪われることなく自分の道を突き進め。と。
九条に弁護士費用を渡し、会社の顧問弁護士になって欲しいと言う数馬。
九条はそれは金で信頼を買うということですよね。と言い、信頼があるならいつでも相談に乗りますよ。と数馬に伝える。
九条の大罪 第64審 感想
ちょっと私の読解力がなく、締めの回だがどのような解釈が良いのかわからない。
まず、数馬と千歌の関係についてであるが、犬飼のションベンでキッチンが汚された後、数馬は千歌に果てしなく尽くすことを誓ったはずである。
しかし、千歌の要求は日に日にエスカレートし、数馬はそれに呆れ、千歌と妹の命は天秤にかけられないということを告げる。
数馬のセリフは当たり前であるが、千歌の求めた関係性は違ったから、千歌は出ていったのであろう。たぶん千歌からすると最優先が千歌である必要があるだけだったのではないか、と思う。それを数馬に求めていたし、絶対に手に入らないと分かりながら千歌が夢見た世界は数馬による無限の奉仕だったと思われる。
しかし、結局千歌は金持ちの老人と結婚した。金持ちの老人と、数馬の違いはもちろん金銭面もあるのかもしれないが、おそらく千歌と結婚をして財産をすべて千歌に渡すという遺言を書ける老人、というのも稀で、例えば息子とか娘がいて、彼らを愛していたりすれば、当然千歌に100%のお金や愛を注ぐなんてことはできない。
しかしながら千歌の求める世界がそうである以上、またお金に執着する千歌は自分を変えられないと分かっている以上、数馬や普通の人間にそれを求めても、それは夢であり理想であるが叶わないことであると、重々承知している。
数馬の涙はおそらく、ああしておけば良かったとか、こうすべきだった、ということではなく偶然惹かれあった二人だが、本質的な価値観が決して交わることがないことに気づきながらも互いに切れない関係性をわかっていたからこその涙なのかと思う。
壬生と数馬について、ゼロイチという言葉を中心に、壬生が人生訓っぽいことを語っている。
特にここが深い感じで、壬生が何を言いたいのかが恥ずかしながらよくわからなかった。
ゼロイチをできる人間、というのは今回数馬のことを指すと思う。腐った連中、というのは詐欺にあう前の数馬に寄って来たような人を指すのだろうか。しかし、彼らが何に値段をつけて売ったのかがよくわからない。
何度読んでも「誰」が腐った連中で、腐った連中が大衆に向けて値段をつけて売る「ゴミ」とは具体的にどんなもので、それを買う「大衆」というのが誰を指すのか、が全然わからない。たぶん今回のシリーズで出てきたサパーの仲間とか、ももよとかが腐った連中っぽい感じはするが、ももよは確かに身体を売っているが、ちょっとピンとこない。
お金を稼ぐ人には変な人が群がって、そのお金はえてしてどうでもいいようなことに使われて、最終的には腐った連中のさらに下層ともいえる連中の消費に回る、ということなのだろうか。
確かに大人の運動会では、ゼロイチで成功したであろう社長たちがいて、彼らのお金に群がるグラビアアイドルたちは自分の身体に値段をつけて売っていたが、そうであるならばそれを買う社長たちが大衆、ということになり、ゼロイチの成功者=大衆となってしまう。
だとするならば、ゼロイチで成功する人、というのは金銭面での成功ではなく精神面のことを指しているのだろうか。第53審で壬生がゼロをイチにするほうが大変だという意味で、ゼロから100万作るのが一番大変、と言っている。
愚者の偶像シリーズでたぶんゼロという表現がされたのはここだけでは、と思っているがこの際に数馬がしたことは、ももよと枕をし、100万円を搾り取ることだった。
この前後の数馬の違いは、壬生から指南を受けたかどうかもあるが、そもそもお金を作ることに関しての覚悟の違いが大きいのではないだろうか。その結果が100万円であり、結果その100万円はより大きなお金となった。この第一歩である覚悟のことをゼロイチ、というのであれば何かに覚悟を決めた人間の周りには、望まざる周囲の反応があり、それらを乗り越えていけ、というようなことを壬生は言いたいのだろうか。
なにか全く頓珍漢な理解をしているように思える。壬生の言いたいことがよくわからない。
九条の大罪 第65審以降の展開は?
恥ずかしながら何か個人的には理解が追い付かないままシリーズが終わってしまったっぽい。
これからのシリーズでもしかしたら壬生の言いたいことがわかってくるのかもしれないが、単純に今回の中ですべては完結していそうだ。
ひょっとしたらゼロイチで成功した人、は今の数馬ではなくこれからの数馬なのかもしれない。
そうするともしかしたら壬生の言っていることが暗示となる可能性もあるのかと思うが、今の段階では何とも言えない。
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