九条の大罪 第15審 あらすじ ネタバレ注意
ベッドに固定され冷やしカレーを食べさせられる宇田川母。
抵抗するが「胃ろうにする」と脅され仕方なく食べる、というより押し込まれるように食べさせられている。
菅原の部下も冷やしカレーを食べてみるがローソクみたいで激マズらしい
胃ろうの男性に対しても部下はめんどくさそうに肛門に管を指して下水に流れる仕組み開発してくれないかな、水で洗い流してもいいかなどと、ひどいことを言っている。
もう一人の部下、久我(こが)が胃ろうの老人を洗う。口ぶりからこの二人は年齢だか年次としては対等な関係のようだ。
肺炎になったらどうする、とか皮膚が弱ってるから手加減が難しいと言っているが、管を付けられたまま床で現れる老人はやはり人として扱われてはいない感じだ。
一仕事終えて外に出るが、久我はただ生きているだけの人間について何なのか、と言っている。
家守父の不満が爆発した際、トイレをメチャクチャにしたので怒って暴力をふるったところ要介護度が上がって利益になったと社長に褒められた、ともう一人の部下が言っている。家守は家族に見捨てられ、面会に誰も来なかったのでバレずに助かった、とも。
家守に遺書を書かせる練習を続けた際、抵抗する家守を躾ける動画を撮影したようで、久我に見せようとしたところ、スマホを奪われ持っているコーヒーに浸される。
奪ったのは菅原だ。全身黒い服。
菅原は証拠を残すなと静かに注意し、コーヒーにつけただけでは壊れないスマホを20mは有りそうな鉄塔に昇らせ落とすように命じる。
震えながら鉄塔に昇る部下。
久我には雑菌まみれのスマホが使ったコーヒーを飲めという。
少しの沈黙の末、半分くらい久我が飲んだところを確認し、菅原が語る
人は面倒から解放されたい、施設に老人を預ける人間も面倒を金で解決する。情はクソであると。日本の高齢化と、税の負担が労働力となる世代、とりわけ若者やサラリーマンに行くことや、地方の崩壊などを説明し、この国のヤバさは加速するという。死にかけの老人の延命に金を使うのは馬鹿げていると。
久我からコーヒーをもらい、うまい汁だけ搾り取って死にかけの日本を去り悠々自適に暮らす、ついてこいと言いコーヒーを飲む菅原。
盃を交わした兄弟だ。裏切ったら殺すと告げる菅原。
つづく
九条の大罪 第15審 感想
いつものコンビニにスピリッツが無かったので今週は休みかと思ったら近くの本屋にあった。全然話とは関係ないがスピリッツを置いているコンビニが減っているような気がする。あるいは売れ行きから考え、仕入れを絞っているのだろうか。この国の未来を菅原は心配しているがスピリッツの未来にも一抹の不安を覚える。
輝幸の3人 菅原と久我
今回は輝幸の3人が描かれた。
組織には秩序やルールがあって、輩っぽい菅原にとっての秩序やルールは暴力によって守られているのだろうとはウシジマくんを読んでいる人にとっては容易に想像がつく話だとは思うが、菅原のリーダーシップのようなものが垣間見えた話である。
菅原は上下真っ黒の服で、ポルシェに乗った勢いのある若者というイメージで、だれかと言われればウシジマくんの獅子谷兄のような印象を受けるが、今回は彼の考え方や仲間とのつながりという意味では獅子谷とはちょっと違った部分も見られたのかなと思う。
比較的軽率・短絡的そうに見える名前のわからない部下に対して、あまり多くを語らない久我(こが)は優秀そうに見える。
変わった読み方なので調べてみるとやはり京都の地名で京都府八幡市にある地名のようだ。少し重要な役割を果たす人間なのかもしれない。
彼ら二人しか社員はいないのか、ほかにも何人か社員はいるのか、途中で上司という言葉を久我でない方の男が言っていたので恐らく何人かいるのだろうとは思うが、社長との距離感ややっていることの危なさを考えると少人数の会社なのだろう。
菅原は自分ひとりが安全地帯で過ごしたいというタイプの人間ではないようだ。少なくとも久我に対してはそう見せようとはしている。
証拠となりそうな映像を取った部下に鉄塔を登らせる、これは明らかに罰であり別にほかの方法でもスマホを使用不能にすることは出来そうだが、あえて菅原はこういう事をやらせて部下の教育をしている。これだけだと世間でいうパワハラのさらに行き過ぎたレベルだが、コーヒーを盃に見立てて契りを交わすようなことを示したというのは、一応の運命共同体であり言葉通り裏切りは許されない、信頼をしているということを示したいと取れる。一応ほとんどの人が知っていることだと思うが盃を交わすというのは戦国武将の兄弟の契りだったりヤクザなどの世界での契りを意味することで、反社会的なニュアンスを受ける菅原にとっては後者の文脈で行っていることだと思う。
ここで本章は「家族の距離」というテーマになるのだが、菅原の本心はまだわからないものの、人を人とは思わぬような悪事を働きつつも運命共同体として輝幸メンバーに接する菅原はある一方では家族の長としての姿勢を示しているようにも見えるという話だったかと思う。
若くて頭も働き、体もよく動く彼らにとっては老人たちの悩み、自分の老後については考えるに値しないことなのか、それとも「日本を去る」ということで一つ彼らの思う「老人がお荷物となる日本社会」に自分たちは加わらないつもりなのかはわからないが、彼らなりの理屈は有りそうである。
日本の将来と税負担について
加速する日本の将来と税負担について、2021年は10月にタバコの増税、高所得者の住民税増税(正確には控除額の減)などがあるが、個人的には短期的にはタバコを吸う人とお金持ち以外にはあまり大きな変化はない捉えだ。コロナによる経済減退対策として増税が延期されたものもあるようだ。
高齢者や長寿化による現役世代の負担増のような話は確かにあるかもしれないし、菅原が指摘するように源泉徴収によってサラリーマンは自動的にお金を徴収されやすいという仕組みはあると思うが、そもそも菅原がどういったレベルの暮らしぶりを目指したいのかがよくわからないため、何とも言えないところである。
Fuctfullnessの冒頭に貧困者は増えているか?という問いかけがあった。こたえは、世界的には減っている、というのがファクトだという指摘であり、この本の言いたいことであるデータにごまかされず正しく見ようね、ということを知る上での導入部分である。
日本人の税率は上がったりや所得は減ったり、国際競争力は下がったりしているし、高齢化していることは紛れもない事実だと思うが、個人的には楽観論すぎるのも悲観論すぎるのも良くないと思っている。もっとシンプルにいえば現代人の大半が生涯ベースでいえば江戸時代の人よりもはるかに快適で選択肢が多く、楽しい人生を送れているのではないかと思うのである。
いっぽう自分に置き換えて考えるとやはり人生の終盤に向けた戦略はしっかり考えなければならないと思わせられるストーリーである。家守の父も元々は結構な人物だったのではないかと思える部分が節々にあり、例えば争うほどの遺産の存在であったり、家守華恵の持つどこか優雅な雰囲気であったりも、そこそこリッチな家でありそうな感じがする。
家守華恵と家守父 お金を払って介護施設に入れたものの面会はゼロ
しかし、老いや病については予想外に唐突に、そして死はいずれは平等にだれにでも訪れるし、自分だけが元気にハッピーにコロリと死ねると思うのはちょっと楽観的過ぎるとすら思える。
前回、家森華恵には父への情があるかのように見えたが、今回の久我たちの会話を聞く限りでは一度も見舞いに来ない=まさに菅原たちがつけこむべき面倒を金で解決する人間像を体現したのが家守華恵であり、前回の描写はそういった金で解決することへの割り切りを示した描写なのかもしれないと思えた。
九条の大罪 第16審 の展開は?
結構長い話になりそうである。
今回は遺書の無効を訴えるストーリーでありそうだが、菅原サイドも大いに関係する話なので、きれいに話をまとめていったとしてもあと2話とかでは到底終わらなさそうである。
最近ウシジマくんも読み返しているが、2巻は「ヤンキーくん」愛沢・マサルの話であり、2巻の中では終わらない最初の読み応えのあるシリーズだった。「ヘコーッ!」のシーンなどの印象的なシーンを多数含み、滑皮、熊倉、村上仁などその後の話にも出てくる重要なキャラがけっこう出てきたシリーズでもある。
特に、ウシジマくんをしっかり読んでいる人には分かると思うが、その後再登場する「村上仁」については、私もネットで感想ブログなどを読んで初めて「2巻で出てきた冴えないヤンキーまがいの人間の再登場」であるということを知り、素早く内容だけさらっていると気付けないこともあり得ると思っている。
比較的強そうな久我だけでなく、宇田川良子やミヨコ(金本の同居人)とかですら再登場しかねないとおもっているのでこれからも油断はできない。
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