コミックス好評発売中です。
九条の大罪 第86審 あらすじ ネタバレ注意
烏丸と九条が向き合っている。烏丸は東海道新幹線新横浜駅連続殺人、すなわち父が亡くなった事件を思い出すという。
裁判を起訴し、監督するのは鞍馬行定(九条間人や鞍馬蔵人の実父)である。
裁判で犯人と鞍馬行定のやり取りがあるが、事件はまず中林敏子と言う女性を斧で殺害、その後中林敏子の持つ新幹線のチケットを奪い、連続殺人に及んだようである。
犯人の供述は訳が分からないが、例えば犯行を止めに入った烏丸克信はルシファーで自分は救世主だとか、言っているし目も飛んでしまっているような状態である。
裁判の結果では被告人である犯人が幻覚の影響を受けていたとしても、全人格を支配されていると認められず、死刑になったようだ。
ドヤ顔をする鞍馬行定。
烏丸の母は弁護士である佐山にお礼を言っている。
まだ大学生くらいの九条(鞍馬間人)が父の正義ぶったドヤ顔にクソ親父、と吐き捨てつつ「死刑は違うだろ」と言っている。髪の長い鞍馬蔵人も一緒だ。
鞍馬蔵人は父さんの悪口は許さん、と言っており、父を尊敬しているようだ。
九条は裁判で犯人の状況を見て、どうみても心神喪失であり、無罪だという。マスコミをあおり、そこに裁判所がのっかっただけで、事実より感情を重視した人民裁判だ、とやや声を荒げている様子だ。
若い九条は裁判は人が作ったものなので法以外からの影響を受ける、だからこそ大衆心理と法律は切り離して考えるべきだという。
一瞬沈黙するが、鞍馬蔵人は司法試験に受かってから言え、と返す。
二審の弁護士が流木ならば死刑から無期落とし(心身喪失認定され無期懲役に判定が覆る)になる、という。
現在に話がもどり、九条と向き合う烏丸。あの時の九条は何を言っているのかと思ったが、今はその意見もわかり、
人だと憎しみ。災害だと悲しみ。あの事件を災害だと思うことにしたんです。
九条の大罪 小学館
と振り返る烏丸。
九条の大罪 第86審 感想
烏丸と九条の出会いについてもっともしっかり描かれた回になりそうである。
さすがの烏丸もまだ中学生くらいと幼く、九条の言っていることは当時わからなかったようだ。父が突然殺害され、その犯人は無罪だ、とややキレているお兄さんに対し、「すごい、なるほど」と思うひとはほぼいないと思うがこの時点での烏丸の反応は一般的である。
九条の父であり鞍馬蔵人の父、鞍馬行定が初登場した。おそらくこの父の影響を強くけているのが兄の鞍馬蔵人であり、マスコミだとかを使って世論を作り、一定の方向に裁判を着地させる力に長けているのではないか、と想像している。
いっぽう、九条は行定の世論を作って裁判の結果を動かすということに否定的な意見を述べているが、19審では思いっきり世論を使って菅原の介護施設を廃業に追い込んでいる。
この九条のやり方と、父行定のやり方における差が私にはよくわからない。
少なからず九条は父の影響を受け、やり方においては似たことをしているように見える。
第一話で九条は一般的な善悪と切り離し、ひき逃げ犯の森田を軽い刑にした。
その際森田が有利になるように働きかけてもいる。これは弁護士と言う立場であるから善悪は関係なく依頼者の依頼に100%寄り添う、と言う姿勢であり、検事や裁判官の立場の人はただ淡々とファクトから判断しないとだめでしょ。というスタンスなのだろうか。
弁護士と検事では立場が違うので、弁護士と言う立場、職業であれば善悪は関係なく依頼者のためにどんなことでもする、と言うことであれば筋は通っているように思える。
九条の大罪 第87審以降の展開は?
今回のように、無差別殺人の一審で犯人が死刑となるも、心神喪失/衰弱が高裁で認められ、減刑となるケースは現実にも過去何度もあるようだ。
私は法律をよく知らないので新鮮に読めているが、感覚としてたくさんの人を殺している殺人者が居たら、その人は死刑であっても何ら不思議ではない、と感じる人も多いのではないか。
しかし、心神喪失状態であればそれは認められず無罪になるようである。
仮に九条が「明らかに故意に人を殺したあろう人間」から弁護の依頼があった場合、心神喪失であったと認めさせる、という荒業を使うような気もしなくもない。
いっぽう、明らかに「心神喪失っぽい、無罪の人を死刑にしてしまう」と言う意味において鞍馬行定はすごい人なのだと思う。至高の検事、というのは行定のことを指すのかもしれないし、それが現在色濃く投影された人物が兄の鞍馬蔵人なのだろう。
コメント